遊びにゆこう
京都でシンクロニシティ
 行く先を決めない旅は、楽しい。で、何の脈略もなく山陰地方に行った後に京都に行くことにしたのだが、これがこの旅の、まさにゴールデンアワーとなったのだった。
 実は、大概の日本人の足跡が残っていそうなこの京都は、私にとって初めて踏む土地だった(とは言っても、今回も「初めてだから楽しい」とゆうことじゃあないさ)。それは私が、今まで修学旅行とは無縁の生活を送ってきたからである。その後も行くチャンスはあれども、なんだか「取っておきたい」感にまかせて、避けてきたのだった。実はこの旅の最初の頃も、京都を避けようとしていた私だった。が、何故か途中で猛烈に京都に行きたくて仕方がなくなってしまったのだ。
 一体何が私を呼んだのだろうか‥‥そこはかとなく、シンクロニシティへの期待が高まったりする。

 私のたっての希望で、最初に訪れたのは「石庭」の竜安寺だった。冷たい縁側で半時ほどトリップできたのは、平日で空いていたおかげだ。平日万歳。この時私は、日頃嫌っているコギャルとでも、深い会話を交わし合えそうな、至福感に良く似たものでいっぱいになった。あ、この時はね。
 二日半の滞在だった。千本鳥居、三十三間堂、などを時間をかけてまわり、やつはしの感触に良く似た京言葉に包まれ、幾つかの小さなシンクロニシティに遭遇し、さあそろそろ帰るのね、と思ったその時。ああ、なんかたまげるようなことないかなあ、と、帰り間際の少し憂鬱な気分で思った、その時であった。

 車で通った祇園近くの華やかな大通りに、それはあった。明るいアーケードと、人の群れの向こうの、一軒のブティックらしき店。その全面を覆うガラスに貼られた、何枚もの黄色い模造紙。それには手書きの真っ赤な字が、大きく書かれていた。
 「ぼろくそセール」。
 ぼ、ぼろくそセール!? 「今度こそ閉店」‥‥こ、今度こそって‥‥
 あなどれない!! あなどれないぞ京都! まさにこれがこの旅一番のシンクロニシティであった。私の狭まっていた視野を蹴散らす、脳天直撃の踵落とし。空間と畏敬と人間と欲と「ぼろくそセール」が混在する異空間、京都。ああ、その恐ろしいまでの柔軟さ。なんて素晴らしい。
 私はこの時、すでに何度も心のなかで繰り返した「また来るぞ、京都」という言葉を、今一度力強く噛みしめたのであった。くす。

(飴屋木実子)


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