〜ある症例〜
単語フェチに
生まれて

 私は単語フェチである。そんなものがあるかどうかは知らない。
 しかしそうとしか言いようのない現象が、私に息づいているのである。
 と言うわけで、今回は自身をサンプルとしてこの症状を紹介しようと思った次第。
 ‥‥ご賛同いただけたようなので、まず最初にフェティシズムの定義を「現代用語の基礎知識」より拝借しよう。

 1.呪物崇拝。2.盲目的崇拝。3.排物愛(異性の体の一部や衣類、靴、装身具などに性愛の対象をおくこと)。
 ‥‥。そうか、こんなに広範囲なのか、フェチの語義って。あ、おまけに変な引用文があるぞ。
 「別にプロレス・ファンではないが、古館一郎のあの語り(過激言葉へのフェティシズム)が聞きたいばかりに、金曜夜八時はテレビ朝日にセットする。/サンデー毎日」だって。どうでもいいけど、これなんか古い話だな。あ!なんだよ、よく見たらこれ89年度版だよ。んー、まあいいや。
 とにかく、「過激言葉フェチ」ってのはいるらしい。と言うことは、あながち「単語フェチ」というのも無くはなさそうだ。さて、では単語フェチとは具体的にどうゆうものなのか。

 一言で言えば、単語が「そそる」のである。視覚的にも音的にも、ツボに来る。本を集中して読んでいようが、ながらテレビしていようが、そう言う単語に出会えばすぐさまモード変換、にやりと笑って違う世界に移行するのだ。
 と言っても、解りづらい方もいらっしゃると思うので、ここで例を上げよう。「メロン」という単語。これは一般の方にもかなり分かりやすいと思う。でも実はちょっと反則で、「メロン」はそれ自体もすごい。縞はあるし、種は手で取らなきゃいけないし、それがたわわに実ったビニルハウスといったら、一歩足を踏み入れただけで悩殺ものの香だ。
 そういう物体を表す言葉が「メロン」。何とまたぴったりのネーミング。「メロ」だけでもその凄さが伝わってくる。だのに「ン」まで付くなんて。付くなんて。――匂いたつ果実そのままの、二次元(音は違うか)の分身だ。

 ああ、人間に生まれてよかった。言葉があって、単語があって、本当によかった。そんな気持ちを噛みしめながら、そういった単語を集めては書き留め、そのノートを開いてはにやりと笑うのだ。(何かコレクターっぽくなってるか?)それが単語フェチの実際である。
 単語フェチ、他にもいないかなあ。あ、言っとくけど、別に欲情する訳じゃあないから。

(飴屋木実子)


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