世界の中心で
「アイ」を奏でた奇人

−イングヴェイ・ヨハン・マルムスティーンについて−

 この原稿を蓮見氏が受け入れてくれるかは非常に疑問ではあるが、「開かれたメディア」であるのであれば、こういったアーティストに対する認識を色々な方が新たにする機会をつくるきっかけになればと思い、あえて道楽堂へ送る次第である。

 単刀直入に書こう。そのアーティストとは、イングヴェイ・ヨハン・マルムスティーンである。ロック(特にハード・ロック)という分野に関して少しでも踏み込んだことのある人や、またはロック・ギターを少しでもかじったことがある人ならば、その名前(ミドル・ネームは別にしても)を「速弾きギタリスト」という代名詞と共に耳に(または目に)したことがあるはずのアーティストである。
 何故、今ここにイングヴェイなのか? ここは「ヤングギター」でも「BURRN!」でも「プレイヤー」でもないぞ!というお言葉が聞こえてきそうだが、しかし、待たれい。まずは、まったく知らない方もいらっしゃるとも思うので、彼のこれまでの経歴を軽く書いておこう。

 イングヴェイ・(ヨハン)・マルムスティーンは、'83年、出身地である北欧の寒冷地スウェーデンから、単身太陽がサンサンと照りつけるアメリカもロサンゼルスに渡り、最近、北海道の様式美ヘヴィ・メタルの老舗・SABAR TIGERでもゲスト参加したロン・キール率いるSTEERLERに加入、数度のライブと1枚のアルバムを残し、当時RAINBOWを脱けたグラハム・ボネットのニュー・バンドであったALCATRAZZへと移る。1stアルバム「ALCATRAZZ」は、現在でも人気が高く、フェンダー・ストラトキャスター・モデルのギターの細いが芯のある音の作りが美しい好盤とされている。しかし、ソロ契約であったはずのアルバム「YNGWIE J. MALMSTEEN'S RISING FORCE」('84年)を発表すると共にALCATRAZZを脱退、その後ソロとして(その1stアルバムを含め)9枚のロック・アルバム(カヴァー曲ばかりの「INSPIRATION」は除く)を発表、現在に至っている。
 その大胆な発言、自らのバンドという意識の強さから来るビジネス・ライクな相次ぐメンバー・チェンジは、メディア(特にアメリカの)からも「性格が歪んでいる」「冷徹な独裁者」「ギターが速く弾けるだけの感情のカケラもないプレイヤー」等の悪評を浴びせられる結果を招き、「いただけない奴」というイメージは未だに強い彼であるが、一部では熱狂的でカルトなマルムスティーン崇拝者を生み出し、「神」「ネオ・クラシカルの王者」etc‥‥の賞賛の嵐もある。殊に、ここ日本では6thアルバム「FIRE & ICE」がオリコン・チャート初登場1位になったり、7th「THE SEVENTH SIGN」も初登場2位だったりと、異常人気を保っているのだが、その音楽性は、ハード・ロック(もしくはヘヴィ・メタル)にバロック時代のクラシックの要素をこれでもかと言わんばかりに詰め込んだ、旧来のDEEP PURPLE, RAINBOWといったクラシックをロックにとりこんだハード・ロック・バンドよりも露骨で、より偏執的な音像を生み出しており、日本におけるX-JAPANの方法論に非常に近い。
 殊更、「速弾き」を引き合いに出されるのは、もう本人にとっては一笑に伏すべき次元の問題であろう。つまり、クラシック音楽における協奏曲でのソロイストに要求されるスピードはあの程度のものであるわけだし、それを単にエレキ・ギターで行なっているにすぎないからだ。

 さて、ここからが本題である。そのバロック系クラシック・ミュージック(作曲家として代表的なのは、ヴィヴァルディ、バッハ、ヘンデル、コレルリ辺り)に傾倒しきっているイングヴェイが、この2月頭に1枚の異様な作品を発表した。その名も(邦題)「エレクトリック・ギターとオーケストラのための協奏組曲・変ホ短調『新世紀』」。‥‥これは、当然全パートをイングヴェイが作曲し、ソロイストとして本人がエレキ・ギターで参加しているという代物である(オーケストラは、プラハのチェコ・フィルハーモニー)。
 「そんなのDEEP PURPLEや、EL&P、JETHERO TULLだってやってるだろ」とか、「今更ロックとクラシックの融合なんてアナクロな事をやって喜んでるヤツがいるのか」とか、「NEW TROLLSとかのプログレの世界の話だね」といった知識人の方々のお声はごもっともだと思う。筆者にしても、キース・エマーソン的発想だと思ったし、イングヴェイ本人が「違う」と言い張っても、ロックとクラシックの融合である事に変わりはない。だが、作品の完成度はまた別の問題である。
 個人的には、生半可なものではないと感じた次第であるが、まずクラシック・ミュージックのオリジナル作品を作曲できるロック・ミュージシャン(‥‥という奴が、どの程度いるのか)で、ここまでプレイヤー的にもどっぷりハマってプレイできる人間は、そういるものではない。スタイルはロック・ギターのそれが入っているものの、音像をトータルで聴くとクラシックなのだ。筆者は、クラシック・ミュージック、プログレッシブ・ロックに精通しているわけではないから、そういった専門的なレベルで強く出る事は出来ないが、結論として、このイングヴェイ・マルムスティーンという男の特異性は、クラシックのテイストをモロに受けたバリバリのロッカーであるという点であると思う。
 故に、この本質的な部分の個性を理解されずに苦しんでいるイングヴェイという男は不幸だと思うのだ。プレイヤー的に「神」であったりする評価が一方で高く(特にアメリカではだが)、アティテュードの面や、音楽性の面では汚くののしられるのは、何かアンフェアーなものを感じてならない。

 願わくば、この日本でのチャートが示す通り、一般的なリスナーが色メガネではなくマルムスティーン・ミュージックを楽しみ、またこれがきっかけになって「こんなヤツに協奏曲が書けるんなら、オレにもやれる(かもしれない)ぞ。」というパンク・シーンにあったようなレベルの共感を呼び起こして欲しいものだ。
 その感覚こそが、ロックン・ロールそのもののはずだからである。

(亜蝶 琶蝶)


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