食わず嫌いは
いけない。


『姑獲鳥の夏』他 京極堂シリーズ

京極夏彦著(講談社ノベルス)

 京極夏彦にはまつてしまつた。
 「今さら」と思われる方、「何でまた」と思われる方、いといろいらっしゃるだろう。僕がこの告白をすると返ってくる反応は、後者が多い。それ程、京極夏彦という作家はメジャーであり、また、イメージのみが先行している作家でもあるのではなかろうか。実際、僕は彼の作品を読むことがあろうとは思ってもみなかった。僕が彼に持っていたイメージは、「軟派な流行作家」でしかなかった。同様に思っている人も多いようだ。
 京極夏彦という名前を初めて目にしたときに思ったのは、「京極少年と上田夏彦を併せたような名前だなぁ」ということだった。お耽美なファンが多いとも聞いた。それからしばらく後、雑誌に出ていた彼の容貌は、ジーザスタウンのグルジェフの様だった。これで完全にイメージはつくられた。これはもう笑うしかない。分からない人にはまったく分からないだろうから説明すると、今挙げた3つの名前は、すべてかつて本田恭章が演じたキャラクター名だ。

 読んでみようと思ったきっかけは、単純。尊敬する師匠が、とても興味深い紹介文を書いていたからだ。半信半疑ながら「つまんなくても話のネタにはなるだろう」くらいの軽い気持ちで、その処女作『姑獲鳥の夏』を手にした。師匠の紹介文を読んだ翌朝のことだった。
 しかし‥‥、たった5分で、完全にはめられてしまった。それからひと月。既刊のシリーズ全5冊、計3千数百ページ(!)を通読してしまった。読後は禁断症状を抑えることができずに、いわゆる「謎本」にまで手を出してしまう始末。それ以後、会話の端々に「京極的表現」がでてきてしまう。同じ頃にはまった友人達も、同様の症例を呈している。
 愛好者になり、作家についての付帯情報が入ってくると不思議なもので、あんなに嫌悪していたイメージががらっと変わる。「悪趣味」と思っていたものが愛すべき「露悪趣味」なのだと思えてくる。人の認識なんて、そんなものだ。そして、そんな「人の認識」をこそ、京極作品は突いてくる。深くて、美しくて、可笑しい。
 僕には僕が騙されてみようかと思った師匠のような上手い紹介文が書けない。だから単刀直入に書く。「読まず嫌いしている人は、損をしている」と。

 さて、この度、待望の新作『塗仏の宴〜宴の支度』がついに発売された。そこでまたひとつ話題が盛り上がるだろう。しかし既刊作を読んでいない人は、迂闊に手を出してはいけない。「順番」が大切なのだ。そうでなければあなたに憑いているものが落ちない。
 僕は、絶妙の好機に愛好者に成れたやうだ。貴方もまだ間に合う。

(蓮見季人)


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