再び・彼の街より
其ノ一
雪解けの頃


 所々に根雪をこびりつかせた畦道が土手の向こうへと延びている。空一面に薄汚れた下着のような雲が茫々と広がっていた。

 酔いどれ特有の引きずるような足どりで、俊は後からのろのろやって来る。行くあてもないが、立ち止まるともう一度歩き出すのが嫌になりそうで、僕は自堕落に歩を進めた。ややもするとスポンジのような地面は、足を上げて随分たってから、背後で泣くような音をたてて膨れ上がった。

 「俺、最近いなくなる方法を知ったんだ」

 言葉の残骸をかき集め、改めてばらばらに崩してしまうような口調で俊は言った。そんな方法、誰だって知ってるじゃないか、と言おうとして僕は気が変わった。

 「どうするの」「雨戸の戸袋に入るんだ」

 犬歯の一本ぬけた前歯をむき出して、俊は間の抜けた笑いを顔いっぱいに浮かべた。

 俊が住んでいるのは昔、怪しげな漢方薬を闇で売っていた数人の男女が住んでいた、あばら屋の一室だった。家具の殆どない四畳半はいき遅れた中年女の様な潔癖さで整頓してあるが、他の部屋は風が吹くと壊れた扉がばたばた騒ぎ、廊下には硝子の破片や無数の割れた洗濯ばさみが散乱している。

 「戸袋の中に隠れるんだな」「いや。戸袋の中にはいると俺、本当にいなくなっちまうんだよ」「だから隠れてるんだろ」「違うっての。あそこへ入ると見えるんだ。誰もいない戸袋の内側が」「それで節穴から外を見て、一日にやにや笑ってるんだろう!」

 道が二股に分かれたところを通りすぎた。ひねこびた潅木の間に、新聞紙を束ねる時使うような、白い紐テープが張り渡してある。急に独りぼっちになったような気がした。振り向くと得意げな笑いを浮かべた俊の首が凄い勢いで一本道を飛んできて、僕の背中にぺたりと張り付いた。

(和田 鴉)


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