グノーシス主義の
世界観

 すごく唐突で漠然とした質問ですが、皆さんはこの世界をどう思われますか。まあいい面もあるし悪い面もある‥‥というのが割と多い考え方のような気もしますが、この世界はすばらしい、実にすばらしい、とか、逆にこの世界はよくない間違っている、悪いことばかりだ、不条理だ、と思う人もいるでしょう。
 私がここで使っている「世界」という言葉は、橋本政権の日本があったり、クリントン政権のアメリカがあったり国連があったりするいわゆる国際社会のことではなく、「この世」の事です。

 私が小学生の時、近所の家にキリスト教徒の人達が来て毎週日曜学校のようなことをしていた時期があり、私もなんとなく惰性でそれに出ていたのですが、その人達がいうには、この世界は全智全能(もう少しわかりやすい表現だったかもしれませんが)の神様がお作りになった、すばらしい、これ以上は考えられない良いものである云々ということでした。
 私は子供心にも「そうかなあ?」と思ったのです。この世界には戦争もあるし災害もある。強盗や殺人などの凶悪犯罪もある。十歳にもならないうちに病気で死んでしまう人もいる(実際その頃、近所で病死した子供がいた)。外国では食べ物も満足に得られず飢え死にする人がいたり、テロや虐殺があったりする。それでもこの世は「考えられる中で一番良い世界」なのだろうか‥‥と。

 その日曜学校ではそんな異論をあえて口に出すことはしなかったのですが、その後いろいろな本を読むうち、やはりキリスト教に関して(特に旧約聖書について)同じような疑問を持つ人がいて、そういう人がキリスト教徒にその疑問をぶつけると、それは人間に「原罪」があるからで、イエス・キリストはそういう原罪を持つ人間を救うためにこの地上に降りたのだというのが定石になっています。
 そこで更に私が疑問を持ったのは、全知全能で非のうちどころのない世界なら、なぜその「被造物」である人間が原罪など犯すのかということです。アダムだってイブだってリンゴの木だって、そそのかした蛇だって全部神様がお作りになったんでしょ!だったら製作に失敗したということじゃないのかなあと思ってしまうのです。旧約聖書(ここではあえて旧約に限定します)を信じるという人には、その辺を矛盾と思わないのでしょうか。


 そのように考えていた私は、学生のときに友人からP.K.ディック(映画「ブレードランナー」の原作者)の「ヴァリス」という小説を借りて読んだのです。それはディック本人の思想経歴ともう一人のディック(ホースラヴァー・ファット)の思想が入り乱れるちょっと混乱してしまう作品なのだけれども、その中で「グノーシス主義」という概念が登場します。

 それは紀元1〜3世紀に隆盛を極め、13世紀にフランス人による同じフランス人に対する「アルビジョワ十字軍」によって消滅させられた宗教思想で、その協議を強引にまとめると、

「この世界は真の神が創ったものではなく、それ自身が神の被造物であるデミウルゴス(=造物主)が神の創造をまねようとしたが作り損ねた失敗作である。
われわれ人間はデミウルゴスによって取られた真の神の光を霊としてもっており、この現世での欲望を自制し、真の神を信じることにより死後その霊=光は真の神の元へ帰る事ができる。
つまりわれわれ人間は身体という檻に閉じ込められた神の光なのである」

ということになります。

 グノーシス主義には真のキリスト教徒を自負するマルキオン派やヴァレンティノス派、主に中近東や中国まで布教した、厳しい戒律を特徴とするマニ教など多くの潮流がありその教えの細部は異なりますが、教義の根本は前述した通りです。

 私はこのグノーシス主義の事を知り、「やはりそういう様に考える人達もいたのか」と、胸のつかえがとれる思いでした。
 それ以来、グノーシス主義についての書物を図書館や古本屋で探しまわっています。グノーシス主義を解説する二十世紀の思想家、E・M・シオランという人も実に興味深いのですが、その人についてはまた改めて書く事にします。

(望月一夫)


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