ねこぢるさんの事

 いきなり表題とは違う私事で恐縮ですが、四月に転職しました。転職した理由は一つではなく、複合的なのですが、まとめていってしまえば、まず前職(電気部品メーカーの営業)が自分の気質に合ってないということと、自分の対人的能力不足による職場における居づらさ、身の置きどころのなさと、会社の将来性のなさがあげられます。

 なぜこんな事から書きはじめたかというと、今回のテーマである「ねこぢる」という漫画家の件で、この世界には、この世界にジャストフィットしてほとんど違和感なく生きている人がたくさん(たぶん過半数)いて、その一方で何か自分と世界との違和感というか、何か違う、合わないなと思っている人も、これは少数派ですが、いるなと思ったからです。

 ねこぢるさんの作品を知っている人は、たぶん「ばるんが通信」の読者の中にも何人かいらっしゃると思います。雑誌『ガロ』出身の漫画家で、91年かその前の年くらいからガロに「ねこぢるうどん」というシリーズの作品を描いています。2〜3年前からガロ以外の雑誌にも描いていて、なんと文藝春秋が出しているマンガ雑誌(なぜこの出版社がマンガ雑誌を出すのかよくわからないが‥‥)にも「ねこ神様」という作品を連載していました。

 ねこぢるさんは同じガロ出身の山野一という人の奥さんで、ガロデビュー当時の「ねこぢるうどん」は、作・山野一、画・ねこぢるということになっていました。山野一の作品はこの世界のいやらしさ、みにくさ、救いようのなさなどをブラックなギャグ仕立てで描いているのですが、そのリアルな陰惨さは、「世間一般」の人からみたらほとんどギャグとは思えないでしょう。「ねこぢるうどん」はそのエッセンスをソフトにうすめ、一見かわいらしい小猫の姉弟が幼児的残酷さを発揮するというストーリーで、キャラクターの可愛さとやっていることのひどさのギャップが受けて、画風もソフトだったので読みやすく、ファンも増えていったのです。

 今回、なぜねこぢるさんかというと、去る5月10日に彼女が自殺してしまったからなのです。おなじガロ系の漫画家で数年前に自殺した山田花子は、本当に生きているのがつらくてしょうがないという感じだったのですが、ねこぢるはもっと悟っているというか、ヒョウヒョウとうまく生きているのかと思っていた(ねこぢる旅行記インド編を見ると特にそう思う)だけに今回のことは意外でした。やはりこの世界との違和感というものが積もり積もるとつらい状況になっていくのかなという気がします。

 冒頭で自分の転職について書きましたが、この世、もっと現実的にいえば学校やら家庭やら会社という環境で違和感や生きづらさを感じている人は多数ではないかもしれませんがいるのです。私もその一人です。ねこぢるさんの事が他人事とは思えず、今回寄稿した次第です。

(望月一夫)


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