“泣き売”体験記


 人通りの多い通り。片隅で泣いている青年。通りかかった中年が不必要な大声で話し掛ける。

「どうしたんだ?こんなところで泣いて。なに、工場が火事になって給料が貰えない?焼け残った製品を貰ったが、病気の母親がいるので早急にお金が必要だ?何の工場?万年筆?ここに持ってる?どれ見せてごらん。
 ほー、こりゃ良い物だ。煤で汚れているが店で買えば四千円はするよ。二千円で良ければ私が一本買ってあげよう。何、それでいい。
 どうですか皆さん。お聞きの通りです。可哀相なこの青年のために買ってあげようじゃないですか。皆さんにも損は無いですし、何より人助けだ。」

 と、こんな調子で安い品物を同情心を煽って売り付ける詐欺。これが「泣き売」と呼ばれる昭和三、四十年のテクニック。何でこんな話をしたかというと、私がその変型に引っ掛かってみたからである(あくまで自発的に騙されたのよ。ほんとだってば)。



 時は、昨年の八月。場所は、埼玉県三郷市。その日、夏休みの一日を上野あたりをぶらついて過ごそうと駅へ向かって歩いていた。そこへ白い乗用車が横に並ぶように近付いてきて、中から男が顔を出した。
「どっかお出かけですか?」
 男が声を掛けて来た。歳の頃は四〇代半ばといったところ。ネクタイにワイシャツという出立ちで、どこにでもいるサラリーマンといった風貌だった。足を止めると男は更に話し掛けてきた。
「ちょっと、時間いいですか? 実は私、銀座にある宝石店につとめているんですけど。ほらTVでもCMしてる××っていう会社。知ってます?」
 そこまで話すと、男は身分証を見せた。確かにその店の名前は載っている。
「で、今草加のほうまで納品にいったんですけどね。納品書と積んで来た品物の数が合わなくて、品物が余っちゃったんですよね。で、その品物、腕時計なんですけど、貰って貰えませんか?」
 男は一気にここまでまくしたてた。

「くれるって、言うんなら貰ってもいいけど、あんたに何のメリットがあんの?」と私が尋ねると男は慌てて喋り出した。
「いやうちの会社、貴金属を扱うもんで会社帰ってから車の中とか厳しくチェックされるんですよ。
 でね、このまま会社戻っても、何か私が変なことしたようで、納品の数ごまかしてるんじゃないかとか疑われるだけなんですよ」
 もっとも、それほど厳しい会社なら、持ち出すときに品物と伝票の数を厳重にチェックしそうなもんだと云う事に気がついていないようだ。
「とにかく厳しくて、下手にこのまま持って帰ったりしたら、私、クビになるかもしれないんです。だから、会社に戻る前にどうせどっかに捨てちゃうつもりだったんですけど、たまたま、あなたが歩いてたから。
 これ、うちで扱ってるもので、質屋に持っていっても5〜6万はする品物なんですよ。ちょっと見て下さいよ」
 そう言って男は化粧箱を取り出し、中を開けてちらりとみせた。そしてすぐ 仕舞いながら続けた。
「これだけの物を捨てちゃうのも忍びないんで声をかけたんですけど」

 こりゃ、泣き売の手口だな。と思ったら、こういう手合の押し付ける商品はどの程度のものなのか、実際に手に入れてみたくなった。
 とは言え、向こうの言われるままの値段で買う訳にはいかない。先手を打ってこっちから値段の話をすることにした。くれるって言うのだから品物だけ貰ってしまうと云う手もあるが、ちょっと気が引ける。

「それなら、自分で質屋に売りに行けばいいじゃん。それの方が金になるよ。俺、金持ってないから」
 男は慌てて付け加えた。
「いや、その‥‥。自分で直接売ったりすると、身分を明かさなくちゃいけないし、そこから会社にばれないとも限らないし‥‥。別に売るって訳じゃ‥‥」
「じゃぁさ、全然金取ろうと思ってない訳?」
「その、ほんのあなたの気持ちでいいんですけど、不景気だし、仕事帰りに一杯引っ掛けたいんで、その足しにしたいんですよ。幾らでもいいんですけど」
「こっちの言い値でいいの? じゃ、2000円」
「えー、さっきも言った通り売ればそれなりの値段の物なんですよ。もうちょっと何とかなりませんか? せめて1万ぐらいって訳には‥‥」
「それなら、別にいらない。俺困る訳じゃないから」
「それじゃ、それでいいです」
 と云う訳で金を払おうとしたが、こういう時に限って千円札がない。男が釣りを持っていなかった上に、結構まとまった額を持っていた事もあって、気が大きくなっていたので結局5000円を払って腕時計を手に入れた。
「ありがとうございました。申し訳ないんでこれも付けますから。彼女にでもあげて下さい」
 そういって男はもう一本化粧箱を渡すと走り去った。

 改めて見てみると、金色にメッキはしてあるものの、どう見ても一本1980円ぐらいで売ってそうな品物である。その足で近くにある質屋へ行って値段を聞いてみたが、「値段は付かない」と言われた。さもあらん、5000円で申し訳なくておまけまで付けてしまうような品である。(それでも一応確認したりするところが小市民)
 で、おまけの方はと云うと。てっきり女物の腕時計だと思っていたら、一昔前のサーファーがしていたような 金色のチェーンのネックレスだった。どちらの品もトホホとしてしまうぐらいショボい品物である。
 あの男はこれらの品物で1万円をせしめることが出来ると思ったんだろうか?私ってそれほど騙され易そうな雰囲気してるのかなぁ? 実際5000円払ってるしねぇ。

(栫井 潔)


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