似而非なるもの


 最近のタモリはやらなくなってしまったが、マスコミに登場してきたころは『ハナモゲラ語』というのをやっていた。タモリは『ハード・ハナモゲラ』と『ソフト・ハナモゲラ』の2種が存在すると説明していた。たとえば「さならは、このらの、もりましてをり」というのを日本人が普通に読むと、外国人には日本語に聞こえるというわけで、つまり日本語のフェイクである。ちなみに、この例文は『ソフト・ハナモゲラ』で、どこかに日本語的な助詞と構造が入っているのを特徴とする(と思う)。
 デビュウ当時に明らかになったタモリの交遊関係は筒井康隆グループで、山下洋輔、坂田明、等々の人物である。このグループのキイ・ワードはもちろん「ジャズ」ということになる。したがって『ハナモゲラ』はジャズのフェイク(メロディをくずすこと)やインプロビゼーション(アドリブ)を言葉に応用したものと考えられるのである。
 ところで、1958年のニューポート・ジャズ・フェスティバルをとらえた映像は実際には昼間のシーンがたくさんあるのにもかかわらず、邦題は『真夏の夜のジャズ』であった。このようにジャズには「夜」のイメージがある。したがって、タモリの芸には「夜」が感じられるのである。いっぽう、今をときめく椎名誠グループのキー・ワードは「探険・冒険」である。したがって、こちらは「昼」のイメージがある。

 さて、30年以上前の話になるが『エラリー・クイーン・ミステリー・マガジン』(EQMM)や『ヒッチコック・ミステリー・マガジン』など外国のミステリー雑誌がたくさんあったころ、あるミステリー雑誌に「もじり兄い」というコラムが連載されていた(と思う)。もちろん、モディリアニの「もじり」である。ジャズ評論が主題だった(と思う)。「ダンモ」「ズージャ」(つまり、モダン・ジャズ)の時代である。
 「フェイク」や「もじり」、ひいては「ダジャレ」など、最近は「オヤジ・ギャグ」などとさげすまれているが、ジャズに繋がるものなのである。だから、タモリの「ボキャブラ」なんとかというのもジャズが元になっていると私は見ている(もしかすると番組の中でそういう説明があったのかもしれない)。


 2年ほど前のことになるが、同僚と酒を飲みながら『似而非なるもの』というテーマで「言葉遊び」をやったことがあった。似た言葉であるが全く違うものを考えてみようというテーマだ。今考えると、これもジャズの応用といってもよいだろう。
 例を示せば「ゲスの勘ぐり」と「ゲソの甘露煮」みたいなものである。「ゲロの寒づくり」などは下品で良くない。しかし、こういうのに限って、するどく気付いてしまう感性を持つ私が悲しい。
 私が以前から気づいていたのが、相撲の「小城錦(オギニシキ)」と「オギノ式」だ。シコ名襲名の時に本人とその周辺が気づいていなかったのが運の尽きというべきである。したがって、昇進はできても妊娠はできない。あ、それでもいいのか。
 「きんぽうげ」と「chinkonoke」などはよほど酔わなければ言い出せない例で、現にその場では発表できなかった。「オヤジ・ギャグだあ」などとすぐ非難されそうである。しかし、その「作品」を忘れられないという感性が悲しい。このように「シモネタ」は嫌われるが「シモニタ」は単なるネギでマルくて太い。

 私以外の「作品」で、記憶に残っている「傑作」を紹介しておこう。

その1 「竹馬の友」と「乳首に友」。
 結婚期の後半(?)にさしかかった独身女性の作品である。
 「ハッときづけば『乳首に友』」。これはどういう状況なのだろう。アーッ、俺はオヤジだあ。実はその時のメンバーのなかに「トモさん」と呼ばれている若い男性がいた。だから「友」は「トモ」なのかも知れない。この意味に思い当たるとは、実に悲しい。

その2 「金科玉条」と「金玉逆上」(ナンノコッチャ)
 これまた、上の女性の作品である。この作品はどこかに発表しておきたいと思わせるほどの出来ばえである。字面的・視覚的にも美しい(そんなわけないか)。
 このような作品を、ぽんぽんと提出できるという事は、若い女性とはいえ「オバン化症候群」がかなり進行している事がわかるし、その場のメンバーはこれらの作品を聞きながら、旭化成の「イヒ」ではなく、「イヒヒヒヒー」と笑い転げていたのだから、かなり酩酊していたという事は明瞭である。

 ちなみに「金玉」はワープロ『東芝ルポ』では変換できない。こんな言葉を「単漢字」ボタンを押しつつ、打ち出している私が実に悲しいのである。      

(佐瀬和義)


目次に戻る