災難に立ち向かう人々


 忘年会シーズンである。夜も更け、帰路の電車に乗ると、ヨッパライに出会うことが多くなった。ヨッパライといえばこんなことがあった。とある10月のことだ。

 東京駅だったか、神田駅だったか、30代前半くらいの男性がかなり酔って乗車してきたようだ。「乗車してきたようだ」というのは、我々がその男の存在に気づいたのは「グペーッ、ビチャーッ」という物音を聞いたときだったからである。いや、それだけではなく乗客がドタドタとその男から同心円状に離れたので、その男の状態が丸見えになったのだ。男は、まるでイエロー・ストーンの間欠泉のように茶色い液体と若干の固形物をはきだしていた。それは独特の酸味を帯びた強烈なにおいを周囲に発していた。「けふここのへに にほふげろげろ」(『裏小倉』より)という状況なのだ。
 「ちぇ。ひっかかっちゃったよ」とぶつぶつ言いながら隣の車両に移動する乗客。臭気から逃れるために、激しく窓をあけるもの。乗客の動きは激しかった。駅に着くたびに、乗り込んできた人々がそれに気づき、行動する様子を、私たちはじっと観察していたのである。
 筆者は、かつて大学生の時、吐き気をもよおしはじめた人間の心理を描いた小文を書いたことがあった。いまでも自分では、あれは名作であると静かに思っているのである。その文章の結論は「『吐き気』にたいして、これを克服してやろうなどと立ち向かってはいけない、立ち向かうとかえってヨクナイ」というものだった。そんなこんなで、この光景を見たときに、「そうか、あれは吐き気の内部の描写であった。人のゲロゲロをみている周囲の人の心理を描いてはじめてこの問題は完結するのである」という思いにかられてしまった。
 話を進めよう。

 このような状態におかれたとき人の行動はさまざまなのだ。まず事態を観察するタイプの人間がいる。私がそうだ。男は何度も何度も間欠泉を吹きだすのだが、意識はもうろうとしているらしい。スーツの袖はすでに、濡れて光っていた。そして、持っていたカバンをまさに“その中”にドサッと落として、またそれを膝の上にのせたりしていた。ただ、カバンの汚れていない方の面を選んで膝の上にのせたのは、一瞬の理性の働きであった。同僚の小野サンなどは「麺類を食べたみたいだネ」などと観察している。この場は人物こそ観察すべきであって、「物」を観察するのはやめてもらいたいなあ、と思うのである。
 ただ、言えることは、こういう状態におかれた人々は、お互いに見も知らない仲であるというのに、ある種の一体感があるということなのだ。災難に立ち向かう人々の一体感というのでもあろうか。我々が座っていたのは車両の端、隣の車両とのつなぎの部分である。“ゲロゲロヘロヘロヘロ”の男と臭気の源泉よりも我々は風上側に位置していた。実に幸せな位置である。まあ、取り立てて言うほどでもないが。
 我々と他の乗客たちは窓を開けたり、隣の車両とのドアを開けたりしていた。実に協力的だったのである。私は「知らない仲なのに、友情が芽生えますねえ」などと、思わず見も知らぬ人に話しかけてしまったぐらいなのである。
 ところで、この臭気はまるで故郷の川をさかのぼる鮭のように強烈な勢いで、風上にまでさか上るほどのものであった。だから、我々のいた車両よりも風上側の車両にも臭気は流れていった。したがって、その車両に脱出したものにとっては、これはたまらない。ようやく脱出したのもつかの間、災難が追いかけてきたのである。だから、我々は車両間のドアを開けて、臭気を逃がそうとしたが、隣の車両に避難した人々は、そのドアを閉めようとする。実際に、強く閉められてしまった。つまり、芽生えた友情は隣の車両まではつたわらなかった。「もう一度このドアを開けたらケンカになります」と同僚の深野サンはおごそかに宣言したのであった。

(佐瀬 和義)


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