都市社会楽のココロ

シリアス

 ときどき ぼくは このからだを すりぬけ
 まるで テレビのがめんを みているみたいに
 ドラマティックなシンパシイを うけとる
 かれは とっても せんさいな しゅじんこう
 だれかの なにげない ことばに きずつく
 かがみのなかに かれのすがたを みかける
 くりかえしの ひび かわらぬ まいにち
 かんじょうさえも えんしゅつしている ようだね

 きょうのエピソオド それはひどい しうち
 かえりみちのかれ どこか おもいあしどり
 ほどうのかげに うすえみ はなしかける
 ほんとうのとこ ささいなことじゃ
 じぶんに よって さわぎたてている だけじゃない

 ふあんが ない
 わけじゃ ない
 いまにも ひざから おちそう
 だけど

 こんなことひとごとみたいにかんじているなんてこ
 んなことひとごとみたいにかんじているなんてこん
 なことひとごとみたいにかんじているなんてこんな
 ことひとごとみたいにかんじているなんてこんなこ
 とひとごとみたいにかんじているなんてこんなこと
 ひとごとみたいにかんじているなんてこんなことひ
 とごとみたいにかんじているなんてこんなことひと
 ごとみたいにかんじているなんてこんなことひとご
 とみたいにかんじているなんてこんなことひとごと
 みたいにかんじているなんてこんなことひとごとみ
 たいにかんじているなんてこんなことひとごとみた
 いにかんじているなんてこんなことひとごとみたい
 にかんじているなんてこんなことひとごとみたいに
 かんじているなんてこんなことひとごとみたいにか
 んじているなんてこんなことひとごとみたいにかん
 じているなんてこんなことひとごとみたいにかんじ
 ているなんてこんなことひとごとみたいにかんじて
 いるなんてこんなことひとごとみたいにかんじてい
 るなんてこんなことひとごとみたいにかんじている
 なんてこんなことひとごとみたいにかんじているな
 んてこんなことひとごとみたいにかんじているなん
 てこんなことひとごとみたいにかんじっかんがない

(C)hasmi toshihito 1990


 『臨床都市社会楽〜T氏の症例』の三曲目にして第一部(A面)の大半を占め、B面にまで食い込む7分以上の大作。初演は1994年8月27日の「都市社会楽の夕べ」。
 テーマは「離人症」。まず、コーラス部のフレーズありきで、そこから内容を組み立ていったのだと思う。
 7分以上と言っても、その半分はダウナー系4つ打ちクラブミュージック(風味)の展開部(間奏?)が占める。そして、疲れている時に聴くと、ここでぐっすり眠ってしまう(^_^;。
 当時のフレンチ・アフリカン・クラブミュージックというか、清水靖晃の『アドゥナ』を意識した曲で、ヴォーカルは、いわゆるメインと、アフリカンな(笑)サブヴォーカルが絡んでいく。さらに後半部では、これに数種のコーラスが執拗に絡むという「声」にこだわった曲でもある。なかでも、わざわざ裸足になってレコーディングしたサブでの低音部からいきなり雄叫びをあげる吹っ切れ感(笑)には自信あり。(その割にメインが鼻づまりっぽくて‥‥(^_^;)
 アフリカン・パーカッションにフレットレスベースが絡んでくるオープニングを筆頭に、リズムに対するこだわりも強く、とくにベースは生だと思われることが多い。B面に入ったところでライヴハウスから出てきたような感じにしているのだが、ライヴでドラムを叩いてくれたタマオさんは、これを聴いて、スタジオリハの音源だと思ったらしい。この入魂の打ち込みと井上竜夫のギターカッティングが相まって、オケ的には、かなりの自信作(のつもり)。
 ちなみにB面に食い込んだのは、30分テープの片面に入らなかったための苦肉の策だったのだが、アルバムの構成的には、これが効を奏することとなる。 
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