[夢幻響通信・1]

無為の共同体の音楽


 「お客なしで演奏したり、アジアのハイウェイで羊飼いに出会うとぼくらも笛吹いて演奏したりしました。それがとてもいいんですよ。」小杉武久がそう呟く。
 タージ・マハル旅行団は、小杉武久と小池龍とが中心になって1969年に結成した即興演奏集団。メンバーは一応7人だったのだけれども、全員が揃うことはめずらしくて、知人が参加したりすることもしばしばで、とても不定形な音楽集団だった。演奏する場所も、ライブハウスやコンサートホールだけではなくて、公園や海岸など野外で演奏することもよくあった。ロック系のフェスティバルに参加したときなんか、会場近くの公園で何時間も演奏し続けていたし、メンバーが2手にわかれて東京とロンドンとで同時に演奏したこともあった。とにかくそんな輪郭の定かでない、しかし確かな存在感のある集団だった。

 「ぼくら七人は、みんなで集まって何かやって、つまり演奏やって、ピクニックにいくことが楽しいからそうしているだけですよ。」小池龍がそう呟く。
 電子的なディヴァイスを使用したのは、たまたまその分野の専門家がいただけのことだった。民族楽器を使ったのも、たまたまその分野に通じているメンバーがいただけのこと。肝心なことは、ピクニックにでもいく感覚で、都市と自然のすきまの空間にほんの一時だけ仮住まいして、おもちゃの楽器や拾った石や貝殻で気のおもむくままに音を奏でること。そして、身の回りを取り巻いている音に耳を傾けることなんだ。眠たくなったら眠ればいいのだし、泳ぎたくなったら泳げばいいのさ。そうした行為すべてが「音楽」なのだから。
 音楽の「楽(樂)」の字は、両手に鈴を持って神憑りしているシャーマンの姿を象ったのだという。その奏でる音が心地よいことから「音を楽しむ」なる意味が派生したのだそうだ。いま音楽は、現実に対して拒絶的で逃避的な志向と、その場限りの表層的な快楽志向との両極に引き裂かれてしまっている。この隔たりを埋めることはとても容易じゃない。

 タージ・マハル旅行団が姿を消してから、もう二十年がたとうとしている。でも、日向ぼっこして気持ちよくなったり、散歩して軽く汗をかいたとき気分が爽快になったり、夕焼けを見て気分が高揚したりする、そうした日常のなにげない貴重な瞬間が、音に触れて気持ちよくなる体験と通底しているということを、彼らが残した数少ない音源から直感することができる。そこからすべてが派生するいわば音楽の原点に触れるってことだね。
 音楽がもたらす超越性を宗教に「流用」してしまうのでもなく、過度に使い捨て的な消費主義に溺れるのでもない、音楽のオルタナティヴなあり方を彼らの歩みから聴き取ることができるのには、世紀末の深みにいる僕達はとても勇気づけられるのだ。

[参考]タージ・マハル旅行団『August 1974』P-VINE PCD-1463/4

(米松本実)


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