'80s BOYの記録(1)
80年代前半の男性アイドル歌手再考

〜歌手・沖田浩之を探して〜

 沖田浩之の曲をむしょうに聴きたくなってレコード店へ行ってみると、彼の作品が置いていない。目録で探してもらっても、デビュー曲の「E気持ち」がコンピレーションモノのCDに収録されているだけだ。確かに、あの曲が代表曲とされるのは理解できるが、「歌手・沖田浩之」をあの曲だけに還元されてしまってはたまらない。
 きっと私が「沖田浩之は優れた歌手だった」と言っても、デビュー曲しか知らない人には、理解されないだろう。それは当然のことだ。デビュー当時の彼に対して、私もそのような評価をするつもりはない。しかし、セカンドシングル以降の彼は、着実に歌唱力を高め、独自のスタイルを築いていったのだ。
 俳優としての評価はそれなりに聞けても、歌手としての実績が、まるでなかったかのような扱いを受けている状況を、私は残念に思う。

 沖田浩之に限らず、当時の男性アイドル歌手の作品は、ほとんど市場に残っていない。これだけCDとしての再版が盛んに行われ、多くの女性アイドルの作品が市場にならんでいるにも関わらずである。もちろん、これには女性アイドルの作品を求める層=男性、男性アイドルの作品を求める層=女性という違いもあるのだろうが。

 このようなことを思いながら、資料にあたってみると‥‥、確かに彼らの作品は「当時もそれほど売れていない」という事実に突き当たってしまった。
 80年代前半の主な男性アイドル歌手のレコード売上枚数を挙げてみると、近藤真彦「スニーカーぶる〜す」とイモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」が共に104万枚を越えたのが頂点で、以下離されて3位にやはり近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」が82万枚、4位に田原俊彦の「哀愁でいと」が72万枚、そしてこの二人で上位はほぼ独占状態だ。
 ベストテン圏内にかろうじて食い込むのが、渡辺徹の「約束」で55万枚。20万枚を越えたのは、以上4組にシブがき隊を加えた、たった5組という超寡占状態だったわけだ。ちなみにシブがき隊でもっとも売れたのが、3枚目の「ZIGZAGセブンティーン」の34万枚だというのは意外だった。

 それでは、沖田浩之はどうかというと、「E気持ち」の18万枚で上位50曲に入っている他、セカンドシングル「半熟期」が10万枚弱、以降、明らかにセールスを落としていき、2年目には3万枚台、3年目には1万枚以下となる。ただ、これは彼のみのことではなく、むしろこの時期の3強(イモ欽トリオと渡辺徹は例外)以外ではもっとも健闘した成績なのである。
 ならば、我らがThe Good Byeは? 竹本孝之は? 本田恭章は? 新田純一は? 堤大二郎は?と言えば、多くの人は彼らを「B級アイドル」と呼称するかも知れない。しかし、それならたった3組だけが、「A級」だったのか?(もちろん、その3組さえ「A級」というのもはばかられるという方もいるだろうが)
 「A級」だろうが「B級」だろうが、そんなことはどうでもよい。「アイドル全盛」と言われたあの時代に多感な時期を過ごした私は、この時代の「男性アイドル」のことをもう少し詳しく知りたくなった。私が何度もくちずさんだ愛おしい曲の数々に対する記憶が、完全に風化してしまう前に。

参考:上位50曲の歌手別内訳
田原俊彦(20曲)、近藤真彦(15曲)、シブがき隊(10曲)、イモ欽トリオ、渡辺徹(各2曲)、沖田浩之(1曲)

注:ここでいう「80年代前半の男性アイドル歌手」とは、1980年から1984年の5年間に「オリコン」にチャートインしたアイドル性のある男性歌手を対象とし、すでにベテランの域に達していた沢田研二、西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎などは含んでいない。

(ピーター・レン)


<以下次号>

この連載を始めるきっかけとなった「歌手・沖田浩之」再評価について、想いを同じにする方々と交流を持つことになった。
そして、沖田浩之CD化への願いは、具体化へと向かっている。
詳しくは「沖田浩之CD化キャンペーン」へ。


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