'80s BOYの記録(7)
80年代前半の男性アイドル歌手再考

〜第三勢力?〜

 直接的なたのきんフォロワーはほぼ出尽くした81年前半。しかし、それでも男性アイドルのデビューは後を断たなかった。
 前年秋にTVドラマ『生徒諸君』で俳優デビューした松村雄基が6月1日にCBSソニーより「セクシーNo.1」で、『あさひが丘の大統領』の田中浩二も遅ればせながら6月25日にフォノグラムより「0秒体験」でひっそりと歌手デビューを果たしている。
 また、竹の子プロダクション第1号タレントとして、現役竹の子族のリーダー、コーチャンこと竹宏治(後の清水宏次朗)が半年間の準備期間を経て7月1日「舞・舞・舞」でデビュー。これは、すでにたのきんフォロワーとは別の地点、ヒロくんフォロワーといったところだ。9月25日にフィリップスから「悲しきティーン・エイジャー」でデビューした直江喜一も、『金八先生』出身とはいえ、どちらかといえばここに位置付ける方がピンとくる。
 しかし、すでに彼らに座るべきポストは残されていなかった。唯一健闘したのは、7月21日「てれてZin Zin」でデビューしたミスターCBSソニー・竹本孝之だ。このデビューシングルは、さほどのプッシュもなく2.1万枚を売りあげ、10月21日発売のセカンドシングル「連想ゲーム」(1.4万枚)を経て、翌春放映のTVドラマ『陽当たり良好』の主題歌「とっておきの君」で8.9万枚のスマッシュヒットを得る。以後、マイペースに音楽活動を続けていけた数少ない例だ。

 「アイドルがレコード産業の主力商品となる時代がはじまった」とはいったものの、翌年登場の男性アイドル歌謡は、このような状況だった。しかし、この時点でこの状況を「不作」というのは、少々乱暴な気もする。あくまでも「たのきん」が事件だったのであって、70年代後半からの流れで見れば、まずまずの成果だったはずなのだ。
 ただ、これを「不作」と見なすに至るアイドルを巡る無視できない状況の変化があったことも確かだ。その象徴的なできごとが、この81年春の『ザ・トップテン』放映開始だ。レコード売上枚数とは無関係に出演できる人気歌謡番組『紅白歌のベストテン』が、チャート番組に衣替えしてしまったのだ。また、『オリコンWEEKLY』が創刊から2年を経てメジャー化してきたこと、エンドユーザーにとって「レコード売上枚数」がより身近なものになったことも無関係ではないだろう。
 それまで「ベストテン歌手」といえば特別な存在だった。しかし、この頃から「チャートインできなければ、歌手として存在していないも同然」とでもいうような「記録至上主義」的認識が、一般にもまん延してきてしまったのだ。

 「アイドル時代」2年目にしてのペースダウンは、女性歌手にもいえることだ。いや、状況は男性アイドルよりも悪い。81年の夏までのデビューでチャートインしたのは、中島めぐみ「ラメ色のデカメロン」の68位(2.2万枚)と石毛礼子「旅の手帳」の77位(2.0万枚)のみ。
 サンミュージックからは杉田愛子、ホリプロからは林紀恵がデビューするもチャートインならず。キリン・レモンでのCMデビューから3年目にして女優&歌手デビューした中島はるみも、サンデーズの沢村美奈子も同様だ。その他、島田歌穂横須賀昌美高樹澪川口雅代小室みつ子といった後に名の出る者も、このデビュー時点ではまったく売れていない。
 とくに渡辺プロは、沢田冨美子和泉友子若杉ひと美ですべて失敗。演歌の若杉はともかく、ルックスにも恵まれCMタイアップもあり、しかもCBSソニーと組みながらの沢田、和泉がまったく売れなかったというのは、「アイドル時代」というのがちょっと信じ難い状況だ。これも「ポスト満席」ゆえの現象と考えてしまうのは、穿った見方だろうか?

 結局、「アイドル時代」突入から1年を経過した81年夏の時点では、近藤真彦松田聖子の50万枚級の一騎討ちに、売上げ的には少しパワーダウンした田原俊彦が食い下がりトップグループを形成し、ニューミュージック&演歌勢を従えるという相変わらずの状況が続いていた。デビュー4年目にして初のベスト10入りを果たした石川ひとみ「まちぶせ」のスマッシュヒット(39.7万枚)も「アイドル時代」の別の側面といえるかも知れないが‥‥。

 そして、こんな状況にとんでもない伏兵が現れる。ヴァラエティ『欽ドン!良い子悪い小普通の子』から番組テーマソングと「両B面」で8月5日にフォーライフから発売された「ハイスクールララバイ」のイモ欽トリオだ。細野晴臣と松本隆のコンビによるこの作品は、発売2週目から7週間連続1位、104万枚を越えるミリオンセラーを記録してしまったのだ。
 ただ、流行歌の歴史の公式に照らし合わせれば、子供/お笑いがモンスターヒットの条件である。そう考えれば、この「イモ欽現象」もそこに位置づけられる。その彼らが、思いっきり「アイドルしていた」ということを、逆説的に「アイドル時代」の象徴と捉えることも可能かも知れない。もちろん、それにプラスして「テクノ」という要素も加わっていることも、無視できない事実だ。

 さて、レコード売上に見られるアイドルの状況はこの通りだが、水面下、プロマイド売上では新たな動きがはじまっていた。81年4月から放映開始した『2年B組 仙八先生』から薬丸裕英川原田新一が7月にそれぞれ俳優部門13位、14位に登場。さらに8月には、当時最先端だった新宿アルタ店の売上で、やはり『仙八先生』出演中の本木雅弘が近藤真彦を抜き総合トップに、同じく布川敏和が田原俊彦を抜き4位に飛び込むという現象が発生していたのだ(ちなみに3位は真田広之)。
 なお女性アイドルでは、沖田浩之らと共に『3年B組 金八先生(II)』に出演していた伊藤つかさがプロマイド発売から3ヶ月という異例の早さで、5月に女優部門1位を獲得。その勢いのまま、9月1日にジャパンレコードから「少女人形」でデビュー。発売2週目でベストテン入り、最高位5位、36.2万枚の大ヒットを記録する。
 これを皮切りに、81年秋より女性アイドルを中心に約1年の均衡をやぶる大激震がはじまる。そう、いわゆる「82年組」の登場だ。

主な参考文献:
『オリコン チャート・ブック アーティスト編』(1988)
『オリコン』(1980.6-1982.01)

(ピーター・レン)


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この連載を始めるきっかけとなった「歌手・沖田浩之」再評価について、想いを同じにする方々と交流を持つことになった。そして、沖田浩之CD化への願いをもってキャンペーンを開始。そして、その願いはついに現実のものとなった。詳しくは「沖田浩之CD化キャンペーン」へ。


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