『恐怖劇場アンバランス』の世界
(第1回)
序文



 作品との出会いは、時代的必然であったのかもしれない。
 唐突だが、私はもともとどっぷりのアニメ・ファンであった。昨今の「新世紀エヴァンゲリオン」によるアニメーション再考の中で、アニメーションがポスト・モダン化(中身カラッポ状態)したのは84年からだとする論が強くなっているが、自身の体験から考えてみてもこの年からアニメより日本を含めたSF特撮作品を見る事のほうが多くなっていった事は確かで、「ゴジラ」の復活もこの年であったハズである。新しく作られるアニメに見るべき価値が見出せなくなって迷い始めていた先の光明であったのだろう。

 さて、その特撮作品への探究の旅は84年から86年までの3年間つづいたのだが、特に円谷プロ作品の内奥にSF的なテーマを超越したものを発見したのであろう、「怪奇大作戦」なる作品の実相時昭雄監督の京都編2作、「京都買います」「呪いの壺」における映像美とドラマ性の高さは、私を「アニメ」 や「特撮」 という狭いカテゴリーから脱出させてくれた。そして、86年末、遂に70年代究極の円谷特撮TVシリーズに出会ってしまったのである。

「或る日、ものすべて突如、その均衡を失う時!!身の毛もよだつ戦慄が走る!それは幻想と耽美の世界か!(後略)」

 これは、地方向けの番組紹介パンフレットに用いられたコピーであるが、このシリーズは単なる怪奇もののスリルやテーマだけが売り物ではない。人間の精神的な落とし穴を現実のサスペンスと共に追う作品が多々あり、かなり前衛的な映像も見られた。
 「エヴァンゲリオン」にハマり、補完された方も、または「二〇〇一年・宇宙の旅」などを金字塔と崇めているSFファンの方も、イタリアやフランス、ドイツ系のプログレ・ファンの方も(その他不特定多数の老若男女の方々も)是非このシリーズを一度はご覧になって頂きたい。
 ただし、「心臓の弱い方、お一人でご覧になる方は、この『恐怖劇場アンバランス』はご遠慮下さい。」

つづく:藤井 宏治)


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