'80s BOYの記録(3)
80年代前半の男性アイドル歌手再考

〜「たのきん」前夜〜

 「たのきん」直前の「男性アイドル」というと、どんな顔ぶれだったのろう。1979年の『中一コース』の夏休み前と冬休み前の付録「アイドル・ヒットソング」の「アイドル・ファンレターあて先一覧」「アイドル100人名鑑」コーナーから、ざっと名前を挙げてみよう。

 あいざき進也、あおい輝彦、赤木さとし東寿明、あのねのね、荒川つとむ、アリス、石原裕次郎、五木ひろし、井上純一、井上陽水、内山田洋とクール・ファイブ、岡本富士太、沖雅也、小椋佳、小野寺昭、オフ・コース、甲斐バンド海援隊勝野洋、角川博、金田賢一、狩人川崎麻世、川崎龍介、神田正輝岸田智史、岸辺シロー、木之元亮草刈正雄、草川祐馬、国広富之、黒沢年男、黒沢浩、桑名正博郷ひろみゴダイゴ西城秀樹、堺正章、坂上二郎、サザンオールスターズさだまさし、さとう宗幸、佐藤祐介沢田研二、篠田三郎、柴田恭平渋谷哲平清水健太郎、SHOGUN、ずうとるび、鈴木ヒロミツ、せんだみつお、千昌夫、ダウンタウン・ブギウギ・バンド、高岡健二、太川陽介田中健、谷隼人、田端富夫、丹羽哲郎、千葉真一、ツイスト、露口茂、所ジョージ、富田圭一郎、豊田清、永井龍雲永島敏行中村雅俊新沼謙治、西田敏行、二谷英明、野口五郎乗附勝也萩本欽一原田潤原田真二、フィンガー5、ふきのとう、布施明、フラッシュ、古谷一行、真越俊幸、松崎しげる、松田優作松山千春円広志三浦友和水谷豊南こうせつ宮内淳、村野武範、ムーンダンサー、矢沢永吉、山下真司、山田隆夫、竜雷太、リューベン、レイジー、レモンパイ、若林豪、渡辺篤、渡哲也

「この人にファンレターを出す中学1年生がいるのだろうか?」という疑問がよぎる名前が多々あるが、載っているのだから仕方がない。ちなみに無印は夏休み前の号のみの記載、青文字が夏冬記載、緑文字が冬に追加されたものだ。
 夏の号は、あくまでも暑中見舞いのための住所録で、総勢184組の名前と住所が記載されており、冬の号になると、ちょっとしたプロフィールがついた「名鑑」となり、およそ半分に絞られている。除外された面子は、まぁ納得できるところだろう。
 それにしても、これが「たのきん」の前年か!と驚く顔ぶれではないだろうか?

 この中で、ニューミュージック系を除いて80年代に入っても歌手として第一線で活躍し続けたのは、郷ひろみ、西城秀樹、沢田研二、野口五郎のみ。そしてこの4人は、この1979年時点で、すでにベテランの域に達していた別格のスーパースターだ。
 一方、この年前半デビューのフラッシュ、ムーンダンサーは、冬には名前が消えており、冬に名前の挙がった、赤木さとし、原田潤も早々に姿を消してしまった。
 このように、確かに70年代後半は、アイドル不作の時期だったのかも知れない。
 ちなみに、70年代中盤〜後半にアイドルとしてある程度の成果を上げたその他の男性歌手を概観してみよう。

フォーリーブス
 68年デビューながら、78年まで10年間という当時としては異例の長寿アイドルグループとして君臨。オリコン最高位は71年「夏の誘惑」、72年「あなたの前に僕がいた」の10位で、売上も17万枚前後。後期最大のヒットである77年の「ブルドッグ」も約6.7万枚の40位と、大ヒットしないけれど人気があるという意味でも「アイドル」の典型だったのかもしれない。
あいざき進也
 74年に「気になる17才」でデビュー(約11万枚)。翌年の「恋のリクエスト」がチャート10位に入るヒット(約17万枚)。その後もコンスタントにシングルを出し続ける。
荒川 務
 74年に「太陽の日曜日」でデビュー。この曲が最大のヒット(約3.6万枚)で‥‥。
ずうとるび
 74年に「みかん色の恋」でデビュー。続く「恋があぶない」とともに約15万枚とそこそこのヒット。77年の山田隆夫脱退以降も新メンバー、池田喜彦を加えて頑張るが‥‥。
草川祐馬
 75年に「若者時代」でデビュー。この曲が最大のヒット(約5.4万枚)。77年の「風のうわさ」は、CMソングで馴染み深いが‥‥。
豊川 誕
 75年に「汚れなき悪戯」でデビュー。続く「星めぐり」とともに10万枚前後のヒット。でもやっぱり‥‥
井上純一
 75年の「恋人ならば」がデビューか? 79年の「心の風」が最大のヒット(約3.6万枚)。歌を歌っていたという印象は、まったくない。
新沼謙治
 76年の「嫁に来ないか」が約15万枚、翌年の「ヘッドライト」が約20万枚のヒット。いちおうアイドルだった。
清水健太郎
 76年のデビュー曲「失恋レストラン」が約63万枚のNo.1ヒット。次作「帰らない」も約55万枚でNo.1、3作目「遠慮するなよ」が約21万枚のチャート3位と連続ヒット。ただ、いわゆるアイドルとはちょっと違うか。
太川陽介
 76年デビュー。翌年の「Lui-Lui」が最大のヒット(約6.3万枚)。『レッツヤン』の司会として、早々にアイドルを送りだす立場に。
川崎麻世
 77年デビュー。翌年の「暗くなるまで待って」「天使の顔につばを吐け」が最大のヒット(各約4.8万枚、約4.5万枚)。ブロマイド・アイドルであると同時に『ヤンヤン』でのダチョウ踊りなどで、いまでいうバラドル系の印象も。
狩 人
 77年のデビュー曲「あずさ2号」約51万枚、続く「コスモス街道」も約43万枚の大ヒット。79年の「アメリカ橋」(約7.2万枚)では、ファンからの声で橋が青く塗り替えられるほどのアイドル的人気だったにもかかわらず、名盤「ブラック・サンシャイン」他、ポップス/ロック路線の曲は売れないという不思議な現象が。
渋谷哲平
 78年デビュー。翌年の「標的」が最大のヒット(約4.9万枚)だが、続く4.5万枚の「ヤング・セーラーマン」や3枚目の「Deep」(4万枚)の方が有名。川崎麻世とのコンビの印象が強い。
レイジー
 78年のデビュー曲「赤頭巾ちゃん御用心」と続く「燃えろロックン・ロール・ファイアー」がともに約6万枚のヒット。その後も売上記録は低調なのに、電リク人気は非常に高かった様な印象がある。

 このような感じで、「ヒット」と「アイドル性」は反比例しているかの様な印象さえある。ここに挙げた数字は、それぞれの「とくに売れた曲」のものであり、その他の多くは数万〜数千枚の記録だ(オリコンでは、週間の100位未満は無効なので、それなりの期間チャートインしていないと極端に記録枚数が減る)。とはいえ、ここに挙げた13組は70年代後半を代表するアイドルなのであり、当時は彼らのレベルで充分に「人気アイドル」として機能していた気がするのだ。もっとマイナーなアイドルがゴロゴロいたのだし。

 現体験として、この時代からしか知らない僕にとって「アイドル」とは、そもそもそういう存在だとしか思っていなかった。『ザ・ベストテン』に出るのは「アーティスト」や「スター」なのであって、「アイドル」は『紅白歌のベストテン』や各種バラエティで目にする存在なのだと。
 そして、80年代に入っても、その「感覚」は変わらなかったのだ。

(ピーター・レン)


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この連載を始めるきっかけとなった「歌手・沖田浩之」再評価について、想いを同じにする方々と交流を持つことになった。
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