80年のアイドル歌謡の構造的変化は、春の訪れとともに始まった。洗顔フォーム「エクボ」のCMは、爽やかなエクボ美人のヴィジュアルとそのイメージソングが春の訪れを宣言。とくに「エクボ〜の〜!」の伸びやかな歌声は、鮮烈だった。それが、松田聖子のデビュー曲「裸足の季節」だ。
余談だが、この新人歌手が歌う姿をはじめて見て驚いた人は、私だけではあるまい。この歌声の主が、CMの画面に出ている娘だとを思ってしまうのは素直な発想だろう。しかし‥‥、まぁ多くは語るまい。後に歌手デビューしたこのCMモデルの歌声を聴いた時の驚きにくらべれば‥‥。
さて、松田聖子の歌手としてのデビューは、80年4月。前項で紹介したサンデーズ参加と同時である。ただし、前年12月から放映のNTVドラマ『おだいじに』ですでに<歌わない歌手>としてデビューしている。
同様にTVドラマ『江戸の鷹』『とり舵いっぱい』などで女優として活動していた岩崎良美は、一足早く2月21日に「赤と黒」で歌手デビュー。女優デビュー前からCMソングを歌っていたという確実な歌唱力で、最高位19位、11.6万枚となる売上げを記録する活躍をしていた(もちろん実姉・宏美のネームバリューも無視できないが)。
これを追う「裸足の季節」は、最高位12位、28.2万枚のスマッシュヒットとなる。続いて5月21日発売の岩崎のセカンドシングル「涼風」も、最高位18位、15.7万枚と健闘。2人はライバル視されるようになる。
そして、この2人に続けとばかりに、6月1日に河合奈保子、柏原よしえ、比企理恵が、6月21日に石坂智子、浜田朱里、甲斐智枝美が相継いでデビュー。秀樹の妹・河合の「大きな森の小さなお家」や<たのきん>主演ドラマ『ただいま放課後』主題歌となった石坂の「ありがとう」は、それぞれ7万枚前後のヒット。サンデーズのメンバーでもある血統書付きのポスト百恵・浜田、最年少15歳とは思えぬ色気の柏原もチャートイン。この大攻勢で、一足早くデビューしていた岩崎や3月に「ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ」でデビュー曲ヒットを飛ばした鹿取洋子ら地味目の実力派新人は、すっかり影が薄くなるほどだった。
この時点で「アイドル豊作の年」との声が高まるが、この女性アイドル増産の背景には、すでに引退を表明していた山口百恵と、渡米していたピンクレディーの穴を埋めなければならないレコード業界の事情があったはずだ。
しかし、7月1日に発売された松田聖子のセカンドシングル「青い珊瑚礁」で、松田の一人勝ちがほぼ決定的となる。この曲は、6週目でベストテン入りする60.2万枚の大ヒット、同じ週にはファーストアルバム『スコール』が初登場5位、シングル、アルバムともに最高位2位と、その人気を確実なものとするのだ。
また、6月21日の田原俊彦デビューとともに、女性アイドル群雄割拠に見えた戦線は、一瞬にして松田・田原の紅白一騎討ちへと移ることになる。松田のサードシングル「風は秋色/Eighteen」は79.6万枚を記録、田原のセカンドシングル「ハッとして!Good」も売上枚数としてはデビュー曲には及ばないものの62.2万枚と、揃ってチャート1位を達成するのだ。
新人として、この一騎討ちに食い込むのが、三原順子だ。田原と同様『3年B組金八先生』で注目された三原だが、この番組放映以前から、2年以上も歌手デビューの時期を伺っていたという期待株。そして、9月1日のピンクレディー解散宣言を待つかのように、9月21日に発売されたデビューシングル「セクシーナイト」は、スローペースながら売上を伸ばし、最高位8位、32.5万枚のスマッシュヒットとなる。
田原に続く三原の成功で、『金八先生』の放映枠『桜中学シリーズ』は、若手俳優のみならず、アイドル歌手の登竜門としても注目されることになる。さらに、これを決定付けるのが、12月12日のミリオンデビュー・近藤真彦だ。
ところで、80年の年間売上を見ると、相変わらずのニューミュージック&演歌全盛であるが、その中でアイドル歌謡は確実に代替わりし、上位に食い込むものとなったことがわかる。「哀愁でいと」が年間ベスト10入りしたのをはじめ、田原と松田は、確実にポップス部門の2大看板となる。その勢いは、この年の平均売上げ30万枚級の山口百恵の2倍以上だ。
また、三原や徐々に知名度を上げていった河合も、20万枚級の沢田研二、西城秀樹、郷ひろみ、高田みづえと互角に渡り合う売上を示す。さらに、一歩下がった岩崎良美でさえ、姉・宏美や石野真子レベルの10万枚級を超えている。ちなみに、当時の榊原郁恵、野口五郎が6万枚級で、その他のアイドル歌手は、数万枚か、チャート圏外という状況だ。
参考文献:
『オリコン』(1980.6-1981.1)
(ピーター・レン)
この連載を始めるきっかけとなった「歌手・沖田浩之」再評価について、想いを同じにする方々と交流を持つことになった。そして、沖田浩之CD化への願いをもってキャンペーンを開始。そして、その願いはついに現実のものとなった。詳しくは「沖田浩之CD化キャンペーン」へ。