児童向け連載小説が
熱かったころ

(3)
久保村エミ『地図の中の時間』


 二つ目の恥ずかしい話は、同じ時期(1970年から71年頃)僕が通っていた全国規模の英語塾にまつわる。
 生徒に購入させる高価な特殊オーディオ機材や、一般から募集した講師に高圧的に徹底させていたらしい独自のカリキュラム等、この英語塾にまつわる思い出は、大人となった今、思い出したくないことの方が多い。

 しかし、この団体の機関誌には、先に述べたトレーニングペーパー同様、児童向け、というには余りにもアナーキーで不条理な小説が連載され、大好評を博していたのである。数冊の著書がある久保村エミ(ミエ?)氏の『地図の中の時間』だ。
 この物語には、前編として『地下道のタップダンス』なる素晴らしいタイトルの先行小説があるらしいのだが、そちらは残念ながら未読である。
 『蠅の王』や『指輪物語』、さらにはカフカの影響下に書かれたと思しいこの物語は、極限状況下における子供たちの葛藤を描いた、痛ましくも殺伐たるファンタジーだった。

 主人公はノボル、という名の小学五年生。ちなみに女の子で、自分の名に深い劣等感を抱いている。名前のことで自分をからかった少年と大喧嘩をした日、ノボルは板切れに書かれた地図を拾い、やがて仲間たちと一緒に地図の中の世界へと迷い込んでしまう。
 地図の世界は荒涼とした砂漠の多い国で、ノボルたちは飛べない翼をもつヒットリ族や、亀の甲羅をもつイシゴウラ族の子供たちと出会う。彼らは謎の女に導かれて世界を支配する『教会』からの逃亡者で、やがて子供たちの集団は裏切りや反目から存亡の危機に追い込まれていく。
 終盤、地図の中の世界は、二人の少年の決闘が原因で崩壊し、こちら側の子供たちだけがボロボロに傷ついたまま全員生還する。永久に消えぬ罪の記憶を各々の心深く刻み込んで。

 魂の譲渡を条件に元の世界への帰還を約束する邪悪な『ネクタイ男』、頭痛に悩む巨大な湖の蛇等、得体の知れぬキャラクターが彩るこの謎に満ちた物語は、佐野氏の作品同様70年安保以降の混乱した若者文化や、一方でなし崩しに安定してしまった当時の世相を抜きに語ることはできないだろう。
 文中に現れる『教会』とは教育委員会の略称で、ノボルたちが迷い込んだ世界には『神』の概念が存在しないのだ。
 −−そして虚脱しきった70年代前半の、いわゆる『優しさの時代』が、現在の僕にとって愛憎半ばする黄金時代であったのもまた、否めない事実ではあるのだが。

(和田 鴉)

<つづく>  <第1回を読む>

総目次へ